「私はボーヌに来たとき、何かを『する』のではなく、何もしないという方針を選んだ。他の皆が何かをすると言っていた時代に、あえて何もしないことに可能性を見た」——ムニール・サウマはそう語ります。
レバノン生まれのムニール・サウマが初めてワインと出会ったのは、エルサレム近郊のトラピスト修道院でした。1980年代後半、訪問のつもりが気づけば長期滞在となり、修道士たちと畑を耕し、ワインを仕込む日々を過ごします。その経験が彼の原点となりました。修道院を離れたムニールはモンペリエで醸造学を修め、ブルゴーニュ、カリフォルニア、フランス各地で研鑽を積んだ後、農業エンジニアとしてコート・ドールを研究しフランス農業アカデミーで賞を受けた妻ロテム・ブラキンとともに、1999年ボーヌに小さなセラーを構えます。マイソン(ネゴシアン)の名「ルシアン・ル・モワンヌ」は、レバノン語で「光」を意味するムニール(フランス語でリュシアン)と、「修道士」を意味するル・モワンヌを組み合わせた、ふたりの歩みそのものを映した名前です。
ルシアン・ル・モワンヌはブドウ畑を一切所有しないミクロ・ネゴシアンです。毎年、コート・ドールのプルミエ・クリュとグラン・クリュを中心に、信頼するグロワーたちから厳選したブドウを買い取ります。しかし契約書はなく、すべては握手だけの関係。「グロワーに何かを指示しようとは思わない。彼らのほうが何十年も畑を知っているのだから」とムニールは言います。年によって顔ぶれが変わる畑の組み合わせ、1クリュにつきわずか1〜3樽という極小生産量。年間総生産量は100樽(約30,000本)を超えることを自らに許さず、その全工程をムニールとロテムのふたりだけで手がけます。
醸造哲学の核心は「加えず、取り除かず」。最大の特徴は、グロワーが圧搾した後の果汁を澱(おり)ごと引き取り、清澄もろ過も一切行わず、全澱のまま長期熟成させることです。「グロワーが6樽持っていれば、私は2樽買うが、6樽分の澱を全部もらう」——この膨大な澱との接触が、ルシアン・ル・モワンヌのワインに独特の質感と複雑さを与えます。さらにセラーの低温環境により、収穫の翌年の夏から秋にかけてゆっくりとマロラクティック発酵が完了するまで、ワインは静かに熟成を続けます。新樽は使用しますが「オーク風味が感じられたら、それはテロワールの純粋さの欠如を意味する」という信念のもと、樽の存在を消した先にテロワールを映し出すことを目指します。
ジュヴレ・シャンベルタンのプルミエ・クリュ「ラヴォー・サンジャック」は、村の北端、ラヴォーの谷(コンブ・ド・ラヴォー)の入口に広がる9.53ヘクタールの急斜面の畑です。AOCとして認定されたのは1936年のこと。南〜南南東向きの斜面は日中の日射量を最大限に受けながら、夜間はコンブから吹き下ろす冷涼な風にさらされる極端な寒暖差が、ピノ・ノワールの凝縮感と繊細な酸のバランスを生み出します。表土は赤みがかった粘土質の薄い砂利層で、下層に水硬石灰岩とプレモー石灰岩が連なり、上部では石英を多く含む「ジュヴレ・シレックス」と呼ばれる特徴的な砂利層も見られます。隣接するクロ・サンジャックとともに、ジュヴレのプルミエ・クリュの中でも最上格と評価される区画であり、グラン・クリュに匹敵するポテンシャルを持つと称されています。名前の由来もまた巡礼の歴史と結びついており、かつてこの地の城で聖ヤコブ(サン・ジャック)の石像が発見されたことから、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路のひとつとして知られるようになりました。
ムニールは2グロワーからラヴォー・サンジャックのブドウを調達しています。2014年ヴィンテージについてムニールは「成熟は早く訪れた。フレッシュなヴィンテージだ。10月の私の懸念はマロラクティック発酵を止めることだった。他のセラーでは2014年のワインがクリスマスまでにマロラクティックを終えていたが、私たちのは翌年の8月から9月にかけてだった」と振り返っています。醸造評論家ニール・マーティンはこのワインを「キリッとした、石を想わせる、現時点ではやや内向きのブーケ。口に含むとより表情豊かで、タルトなレッドチェリーとクランベリーのニュアンスがあり、ピリッとしたフィニッシュが長く続く。繊細でデリケートなワイン」と評しています(eRobertParker.com)。