アンリ・ジローの歴史は、ルイ13世統治下の1625年までさかのぼります。
石灰質、それもチョーク質土壌を基盤とし、良質なブドウの産地として知られていたシャンパーニュ地方でも、グランクリュに認定されているアイ村は昔からとりわけ評価が高く、17世紀にシャンパーニュ造りが始まった頃には多くのメゾンがアイ村のピノ・ノワールを手に入れようと苦心したといいます。王族や聖職者は特に熱心で、フランソワ1世や「アイ卿」と呼ばれたアンリ4世の圧搾場跡がアイ村に位置することからも、彼らの執心が想像されます。 このような時代背景の中、1625年に創業者フランソワ・エマールがアイ村に畑を購入したことから、シャンパーニュ アンリ・ジローの長い歴史は始まりました。
まもなく創業400年を迎えようというアンリ・ジローが現在の姿になるまでに直面した中でも最大の危機は、19世紀中ごろ以降ヨーロッパに侵入したフィロキセラと、第一次世界大戦の戦禍により、ヨーロッパの多くの産地同様ブドウ畑が一時壊滅状態に陥ったことでしょう。しかしこの苦難の事態を乗り越えたのが、エマール家の娘と結婚した10代目当主レオン・ジローでした。現当主クロード・ジローの祖父にあたる彼はマルヌの戦いから帰還するとシャンパーニュ造りの研究に打ち込み、アメリカの台木に継ぎ木するという当時としては最先端の技術を導入しました。シャンパーニュに多大な情熱と愛情を持つ彼は、絶え間ない努力によって畑を復興させました。
レオン・ジローの探究心あふれる精神は12代目の現当主クロード・ジローまで絶えることなく受け継がれ、アンリ・ジローはシャンパーニュのさらなる向上を目指しています。クロード・ジローが1990年にフュ・ド・シェーヌをリリースすると、アンリ・ジローの名は世界中のワイン愛好家に称賛され、名声を博しました。アンリ・ジローがまだ現在のように広く知られていなかったこの頃、ワイン評論家ロバ—ト・パーカーは次のようにコメントしていました。「ほとんど人に知られることのないこのドメーヌは、最高のシャンパーニュメゾンだろう。このハウスのシャンパーニュは、むしろ蜂蜜味のあるブルゴーニュの白に近い。伝統のオーク樽で熟成されたプレステージクラスの『フュ・ド・シェーヌ』はクリュッグのような余韻をもちながら酸化度がより低く、強いボディを感じさせる。ノン・ヴィンテージ シャンパーニュの中でもアンリ・ジローは最高峰の一つといえる。」
繊細にして芳醇、エレガントな飲み心地のシャンパーニュ アンリ・ジローは、創業以来390年余りの時を経て、さらに新たな歴史を刻み続けています。
アイ村のピノ・ノワールの魅力が存分に味わえる類まれなるシャンパーニュ、それがアンリ・ジローです。